太宰治。子供の時分にはスポーツの熱性、次にはパンクロック等の明るく公開された怠惰なんかの方がわかりやすく好きだった。自殺。それも心中に対しての嫌悪も強かったように思う。ジコレンビンの権化。「人間失格」なんて電車で開くのはとても無理。けれどもこの機会にあらかた読み返したら自身の中に違う太宰治像が発見されて驚いた。一つのことについていうと、山間部や芸者、田舎の風情都市の華やかさの底土になっているもの、はじき出されているものへの視線が清んでいてとても優しいという気がしてきた。・・・・もう、指定の文字数を超えている・・・・舞台上に展開できるだろうか。今回は彼の優しさいささかねじくれた反骨の魂、ユーモアにも触れてみたいと思っている・・・。僕が今回考えたことのほんの一部である。三条会関さんは何を考えたろう。「太宰治」について考えた二人の往復書簡のようになっていると嬉しい。